ききょうけん(キッズの教養を考える研究室)

「キ」ッズの「教」養を考える「研」究室

入賞を狙うことはお勧めできない(後編)~書いてみよう読書感想文③~

 

 こんにちは

キッズの教養を考える研究室「ききょうけん」のベル子です。

 

 今回は、読書感想文に関する先週の記事「入賞を狙うことはお勧めできない」の後編です。

 

 

※前編はこちら↓

kikyouken.hatenablog.com

 

 

◎前編を簡単に振り返り

 

 宿題で課されれば書くしかない読書感想文ですが「書くからには賞を狙いたい」と少なからず考える子どもや保護者もいらっしゃると思います。

 

 でも私は、自身の経験から「賞を狙うよりも、自分が納得できるものを書いた方が良い」と考えるようになりました。その元となる体験について今回紹介させていただいています。

 

 

 作文は得意な方だったものの、読書感想文には苦手意識があった私ですが、中学3年生の時に学校の代表に選ばれました。

 市のコンクールに出すにあたり手直しをすることになったのですが、先生と相談した結果「一から書き直し」するようにアドバイスを受けます。

 

「全部書き直すくらいなら他の子を選んだ方が良さそうなのに、どうして自分が代表に選ばれたんだろう?」

「そういえば私の母親は、夏休みに入るよりずっと前に、校長先生から『読書感想文に期待している』と声を掛けられたと言っていたような?」

 

 いったいどのような基準で代表を決めているのか、私自身の学生時代の体験をベースにして、その後仕事の都合で見聞きしたことを元に、私なりに出した答えを書いていきます。

 

※こうした文化には地域や世代によって違いがあると思いますし、あくまでも私が見聞きした範囲の話として考えてください。

 

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◎「インパクトのある体験」の有無

 

 一から書き直す必要があるにも関わらず私が代表に選ばれた理由はいくつか考えられますが、一番大きな理由は「感想文に使えそうな実体験があったから」だと思います。

 

 自己紹介の記事で少し書きましたが、私は子どもの頃ちょっとした持病があり、日常生活を送るうえで少し制限がありました。それと関連させて感想文を書けば、コンクールで賞を狙う上で有利になると、先生方は考えていたようです。

 

 

 前シリーズ「今日から始める読書感想文」でも「自分の体験を絡めて書いた方が良い」ということは何度か書いてきましたが、読書感想文の評価において、この「体験談」というのが良くも悪くも大きな評価ポイントになってしまいます。

 

 そもそもの「自分の体験と絡めると良い」という話は、「誰かに言われたことをそもまま書いたり丸写ししたりしたものでない、その子なりの感想」を求められているところに由来しているのでしょう。本の評論ではなく、本を読んだことによる自分の心の変化を書くという意味で、実体験と絡めて書くことが有意義なのですね。

 

 でも「コンクールで賞をとる」という目標を見据えて考えると、「日常のささやかな体験談」ではなく、よりインパクトの大きな体験と絡めて書く方が有利だという現実があります。

 それで「賞をとらせる」ことの上手い先生の一つの技法として、まず使えそうな「体験談」ありきで、それに合わせて感想文を書くという手法があるのです。

 

・身近な人の闘病や死

・自分自身が遭遇した大きな事故や怪我

・生まれ持ったハンディキャップと向き合う体験

・言葉のわからない海外での生活経験

・世間的に有名な事件や事故の当事者になった体験

 

などは、非常にわかりやすく武器になるわけですね。

 それで持病のある私に白羽の矢が立ったと。

 

 また、上記のような内容の他にも

 

・家庭の事情で転校を繰り返した経験

・弟や妹が生まれて家族が増える体験

・ハンディを抱える人や外国人との交流

・特定の分野で大きな大会に出場した話

 

等が取り上げやすい題材ですが、こちらは実際の内容によってインパクトの大小が変わるので、先生がわざわざ指定して書くようにアドバイスすることは稀ではないかと思います。

 

 ただ、いずれにせよ「本の感想の良し悪しよりも、題材にできる実体験のある人が有利で、代表にも選ばれやすい」という現実があり、それは感想文単体に対する努力だけではどうにもなりません。そのため、純粋に賞を目指して書いている子を見ると、「それだけ頑張っても『大人目線でこれまで苦労してきたと思われる子』の方が選ばれてしまうかもしれないな」と思うと、すこし複雑な気分になります。

 これが、私が「入賞を狙うことはお勧めできない」理由の一つです。

 

 

◎実際の選考は公平

 

 私自身が中学3年生の時に提出したもともとの感想文には、そうした体験談の要素はありませんでした。

 それでコンクールに向けて書き直しする際には、自分の持病関連の実体験と絡めて書くように何度となく先生に勧められましたが、自分の中では「それを入れたら感想文ではなくなる」という気がしてしっくりこなかったので最後まで書かずじまいです。結局県のコンクールで入選(細かい賞の名前は忘れました)どまりでしたが、上手く関連付けて書いていれば 全国コンクールに進めたのかもしれません。

 私自身は、自分で判断して決めたことなので何の悔いもありませんが、後で考えてみると、それだったらやっぱり他の子が代表になれば良かったのではないかという思いはあり、その点は少し申し訳なく思っています。

 

  ただ「代表を目指していたのに選ばれなかった子」には申し訳なさがありましたが、当時いろいろアドバイスをくれた先生方に対しては、そういった感情はありませんでした。

「安易に『お涙頂戴の苦労自慢』で賞を狙おうとするのはいかがなものか」と、少し反発を覚えていたのです。

 

 でも、現在はそういった反発するような捉え方はしていません。

 

 

 当時同級生には、「ハンディキャップを抱えながら自分を育ててくれた親との関わり」を題材に書いて別の作文コンクールに選ばれた子(Aさんとします)がいたのですが、

彼女は  

「貴重な経験をさせてもらえて、とてもありがたく思っている」

と語っていました。

 

 こういったコンクールに参加することが、少し特殊な環境に置かれた自分と向き合う機会になり、今まで以上に前向きにとらえられるようになることもあるのでしょう。「賞のため」ではなく「彼女が自分と向き合うため」にコンクールに応募することが必要だったのですね。

 先生達は「安易なお涙頂戴で賞を狙う」ということではなく、そういった機会を必要な子に与えるために代表に選んだのではないでしょうか。

 私はAさんほど大変な境遇でもなく、自分が将来持病とどう付き合っていくかといったことについて、既に自分の中である程度の結論を出し終わった時期でした。だから向き合う機会を必要とするタイミングではなく、いまいちしっくりこなかったのでしょう。

 

 

 また、実際にコンクールで選ばれて賞をとるという観点で考えると、そうした「苦労話」が決して「審査員の同情」のような要素で有利になるのではないのだということが、大人になってからわかりました。

 単純に、そういった体験を題材にした方が、読み応えのある文章が書きやすいのです。

 

 近年ドラマ等を見ていて「短い尺で見ごたえのある世界を見せる」ためには題材が重要なのだと、強く感じるようになりました。

 

 子どもたちは当然、文章を書くプロではなく素人です。そしてコンクールで与えられた文字数は限られています。

 その状況で、読み手が素直に心をつかまれるような文を書くのは、実際のところ非常に難しい話ですよね。

 

 日常的な人間関係の葛藤などを相手に伝えるためには、多くの情報を出して状況を説明しなくてはなりません。でも、字数が限られていますから、必要な情報「のみ」を厳選して書くスキルが必要になります。多すぎても少なすぎてもいけません。

 それに対して「病気」や「死」、「有名な事件や事故」というのは、その名目だけで読み手自身の経験と結び付けて情報を補足できてしまいます。細かい説明を必要とせず、子どもの拙い表現であっても、何となくわかってしまうのです。そのため他の部分にも十分字数を割く余裕が生まれ、結果的に「良い文章」になりやすいのでしょう。

 

 単純に、わかりやすく心をつかみやすいから評価されるのです。実際のコンクールの選考は公平なのではないでしょうか。

 

 ですから、前編でも書きましたが、本当に良い文を書くことができれば、上述のような事情など関係なく賞がとれると思います。

 かつて、「ホームレス中学生」がベストセラーになりましたが、その一方でさくらももこさんの「もものかんづめ」もヒットしています。インパクトのある体験談でなくても、上手く切り取って表現するセンスがあれば、評価されるはずです。

 

 

 

◎学校独特のバランス感覚

 

 私の身の回りの先生方は「どうせなら賞を狙おう」というタイプが多かったように思います。それで賞を狙いやすそうな子を代表にし、その子に熱心に指導をするという姿をよく見かけました。

 

 でも一方で、「あらためてエネルギーを注ぐ必要なんてない。良さそうなものを選んで、誤字脱字だけ直して応募すれば良い」という先生もいらっしゃるでしょう。どちらのやり方・考え方にもメリットはあります。

 

 では、そういった先生が「提出された宿題の中から単純に一番良いと思ったものを選んでいるか」というと、実はそうとも言い切れません。

 

 先生の多くは「たくさんの子どもに、たくさん活躍してほしい」と願っています。

 それは賞を目指す先生でも賞にこだわらない先生でも変わりません。

 ただ、「外部のコンクールで賞を取る」ことを活躍とするか、「代表に選ばれてコンクールに出品する」ことを活躍と取るかで、判断基準は変わってきます。

 

「スポーツの大会で優勝する」とか「コンクールで賞をとる」など、学校外で結果を残すためには、結果を残せる選手や賞を狙える作品を選ぶしかありません。

 でも「代表になる」というだけなら、多少心もとなくても選ぶことができます。

 

 そこで、同じくらいの評価の作品があった場合「前に活躍の場があった子よりも、まだ出品経験のない子にしよう」と考える先生はたくさんいるのです。

 そのため、感想文単体で一番評価が高いものが書けても「今回は別の子に華をもたせたい」という理由で選考から外れてしまうということも考えられます。もちろん、そういった事情は、子どもたちに明かされることはないでしょう。

 学校では時としてそういった力学が働くため、賞を目指せる文を書いたところで、「他の子とのバランス」で選んでもらえない可能性もあります。「こう頑張れば選ばれる」と努力の方向性を定めることが難しいという事情を知っているため、私は「賞を狙う」ことを勧めることには抵抗を感じてしまうのです。

 

 ただそれはあくまでも評価が近い場合の話で、前編でも書きましたが、誰もが唸るような文句無しの名文を書くことができれば、しっかり選ばれて賞もとれると思います。

 

 

◎まとめると

 

・感想文の代表選考は、純粋な文章単体の良さで決まらないことがあります。

 

・選ばれるかどうかは、その時のめぐり合わせによるところが大きいのです。

 

・それでも、本当に良いものは良いと評価されますし、本と向き合って真剣に書けば良い経験になるでしょう。

 

・以上の理由から、賞(学校の評価)にはこだわらず、自分の納得できるものに仕上げることをお勧めします。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。