ききょうけん(キッズの教養を考える研究室)

「キ」ッズの「教」養を考える「研」究室

それぞれの「前提」を知ることの意義~当ブログのテーマ「子どもの教養と常識」について~

 

 このブログの中で考えていきたいテーマ「子どもの教養」。

 どんなことについて、何のために考えていきたいのか、もう少し詳しく書いておきたいと思います。

※この記事は3000字を超える上に、ブログ自体の紹介が目的の記事ですので、「子どもの教養」について具体的な内容はありません。最初に書いておくべきと思ってまとめてみたものの、まずは他の記事を読んでいただいた方が良いかもしれないと思っています。そのうえでもしこのブログ自体に興味を持ってくださったなら、この記事もお時間のあるときに読んでいただければ幸いです。

 

 教養については多くの本やブログで日々語られていますが、それは大抵「大人が身につけるべき」とされているものです。では「子どもの」教養とはどんなものか。

 大きく分類すると以下の3種類のものがあると、私は考えています。

 

 ① 子どもの世界では至極当然のことなのに、

  大人の理解が及びづらいもの

 ② 大人になった時に必要なので、

  子どものうちから少しずつ学んだ方が良いもの

 ③ 子どもが今、自分のおかれている環境で

  生きていくために必要なもの

 

① 子どもの世界での常識

 私は小学校低学年くらいまで、かなり怖がりな子どもでした。おばけを怖がったりするだけでなく、怖い雰囲気を演出する「ヒュードロドロ」と表現されるような音だけでも、聞くのを嫌がるくらいでした。

 それが今では怖いと感じることが全くありません。ジェットコースターのような乗り物は今でも苦手ですが、いわゆる「オカルト」の世界には全く恐怖心がなくなってしまいました。

 子どものころから怖がらない子もいるでしょうし、大人になっても怖い話が苦手な方はいるでしょう。でも、未知のものに対する子どもの感覚は、私たちとはまた違うものがあると感じています。大人は、いろいろなことが科学的に説明できることを知ったうえで、説明できないことを不思議に思いますが、子どもにはその境界線がないというのも、大きな理由の一つでしょう。個人差はありますが、大人とは違う感覚がそこにあるようです。

 逆に、周囲の大人が「危ない!」と思うようなことを、子どもは平気ですることもありますね。大人が過去の経験から危険だと考えることも、その経験のない子どもにはピンときません。

 このブログ「キッズの教養を考える研究室」では、大人とは違う子どもの常識がどんなものかを考え、子どもとのより良いコミュニケーションにつなげていきたいと思います。

 それと関連して、子どもに人気のアニメやゲームなど、子ども達の間で有名だけれども、大人が子ども程は知らない文化についても考えていくつもりです。


② 大人になったら必要な教養

 社会人になると、教養を身につけていることを、いろんな場面で求められますね。

 大多数が当たり前のように身につけていることを誰かが知らなかったりできなかったりすると、「いい大人なのに情けない」とか呆れられてしまうこともあります。何より、「みんなこれを知っているだろう、これが常識だろう」という前提で物事を進める集団の中では、その前提を知らない人は生きていくのが非常に困難になります。

 

 でも、そういう教養や常識って、いつ覚えるものなんでしょう?

 

 教科書に載っているような知識なら「学校で習う」ということになりますが、「そんなの大人なら知っていて当たり前でしょう」という事柄は、学校で体系的に教わらない内容も少なくありません。

 そして多くの場合、大人になると「『大人は知っていて当たり前』なのだから、あえて教える必要なんてない」という空気になってしまいます。「知っているかどうか確認する」ということも少なくなります。

「経験を積む中で少しずつ覚えれば良い」という場合もありますが、その経験を積むために必要な最低限のスキルを事前に身につけていないと、不要なトラブルが起こすことになりかねません。

 

 最近のニュースで、「成人」の年齢を20歳から18歳に引き下げるという話題が何度となく取り上げられていますが、20歳にせよ18歳にせよ、その年齢になった途端勝手に教養や常識が備わるわけではないですよね。

 成人になったときにそれが備わっているようにするには、子どものころから少しずつ学んでおくしかありません。

 

 母国語をはじめとする語学、数学や科学の基礎知識、世界や日本の地理・歴史、お金の使い方、法律や経済についての理解、文化に関する知識や理解、会話の作法、手紙や書類の書き方、衣服のTPO、一通りの家事、etc……

 全て完璧という人はそうそういないでしょう。正直なところ私もあまり自信がありません。それでもやはり「最低限これは身についていないと」という範囲は、この社会で生きていく上では存在するように思います。

 大抵の人は、成長の過程でいつの間にか覚えているのかもしれません。でも、何かの加減で学び損ねることも、よくあることだと思います。学校の教科書に載っている内容ですら、実際の授業で扱われることなく終わることも決して珍しいことではありません。

 それを知らないことは、その「学び損ねた人」の責任でしょうか。現在大人だとしても、学び損ねたのが子ども時代だと考えると、その人の責任だとは言い切れないでしょう。

 

 大人になるまでに何を学んでおくべきか、より具体的により細分化して考えていきたい。それがこのブログのテーマの二つ目です。

 

 なお、私は日本生まれの日本育ちで、これまでずっと日本で暮らしてきました。土地が変われば常識も変わりますが、特に国が変われば全く別のものになることもあるでしょう。

 日本の文化ばかり肌で感じてきた人間のブログですので、内容は基本的に日本の社会を基準に書かせていただくことになります。「海外の○○というところでは、こうだったよ」等の情報もお待ちしております。


③ 子どもも何らかの集団の一員


 社会人になると、教養を身につけていることを求められます。しかしそれは、子どもも同じだと思うのです。学校等はもちろんですが、家族などごく親しい間柄でも、「みんなこれを知っているだろう」という色々な前提をもとに物事が進んでいきます。
 
 しかしこれもまた、「実は今まで学ぶ機会に恵まれなかった」ということが少なくありません。

 

 子どもの成長過程のどの段階で何を身につけさせておくと良いのか?それが実際に子どもに身についているのか?

 それがこのブログで考えていきたいことの三つ目です。

 

「何をどの年齢で身につけるべきか」と考えると、実際には個々の子どもによって全く異なると思います。どんな集団に所属しているのかは、子どもによって違うのですから。

「小学校低学年のころから毎朝目玉焼きを作っているけれど、初めて電車に乗ったのは高校生の時」という子もいる一方で、「小学校低学年の頃から電車に乗り慣れているけれど、初めて一人で火を使ったのは高校生の時」という子もいるでしょう。その子の取り巻く環境やその子の能力・興味によって、早く身につけたいことも、身につけやすいことも違います。

 それでも、「どのくらいの成長段階でどれを覚えているか」の情報をまとめていくことは、有意義だと私は考えています。

「この年齢で覚えている子が多いから、うちの子にも覚えさせなきゃ!」と焦るべきではありませんが、「うちの子もそろそろ一回挑戦させてもいいかも」と考えるきっかけがあっても良いでしょう。

 また、学ぶべき内容をより具体的により細分化して考えていくことで、「大人になるまでに学び損ねる」ことを防ぐだけではなく、身近な子どもと接する際に「現時点でその常識を知らないかもしれない」という視点を持つこともできます。

 「この年齢なら知っていて当然」という思い込みを捨てるだけでも、より子どもと関わりやすくなるでしょう。

 

 今後の投稿で提示する個々の事柄について「自分は〇〇歳頃身につけた」とか「うちの子は〇〇歳ごろ教えてみたけど無理だった」とか「最近の学校ではこういう指導をしている」等、情報がありましたら是非コメントをください。よろしくお願いいたします。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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