ネットリテラシー教育の難しさを痛感した話~土曜日の編集後記2~
こんにちは、ベル子です。
このブログは「キッズの教養を考える研究室」です。
今、子どもに必要な教養として「ネットリテラシー教育」についても扱っていきたいと、考えているのですが、まだ勉強中です。
リテラシー(literacy)というのは「読み書きの能力」を表す英単語で、日本では「適切に理解し使いこなす能力」という意味でも使われているそうです。
ですから、「子どもへのネットリテラシー教育」は「子どもがインターネット技術を適切に使いこなす能力を身につけられるための指導」ということですね。
IT機器を操作するスキルだけでなく、マナーや危機管理意識等も含みます。
むしろ、教育現場ではどちらかというと操作スキルよりトラブル防止のための教育について語られることが多いように感じられます。
ネットをめぐるトラブルに子どもが巻き込まれるという話は、何かとニュースになっていますから、しっかり向き合わなければならない問題です。
でも、情報技術はどんどん進化していて、子どもに関わる大人たちも、どうしたら良いのか手探りで考えている状態ではないでしょうか。
そんな中、「やっぱりネットリテラシー教育って難しいな」と思った出来事がありました。
今日はその出来事について書きたいと思います。
はてなブログでこの「ききょうけん」を立ち上げてから、私は他の人の記事もあれこれ読むようになりました。
その中に、子ども関係の仕事をしていらっしゃる方のブログがいくつかあります。その筆者のお一人を、仮に「Aさん」とします。
私もAさんも子ども関係の仕事をしていますが、二人の間に直接の接点はありません。
ただ、私はAさんと同じ職業の方と仕事をしていたことがあり、仕事場の様子は大体わかります。
ブログを読む限り、Aさんは私よりずっと若いようですが「新米」と呼ばれるような年代でもなく、職場で主力としてバリバリ働いていらっしゃるようでした。
私はまだAさんの記事を全部読むことはできていませんが、今年に入ってからの記事は全て読んでいます。
時には目標を宣言し、時には愚痴を書き、時には子どもとの心あたたまるエピソードなどを書いていらっしゃって、それぞれ興味深く読ませていただいたのですが、その記事の中に
「これは、Aさんの立場でネットに書き込んだらまずいものなのでは?」
と感じる内容があったのです。
ネットの世界の記事ですから、もしかしたらその内容に過敏に反応しているのは私だけで、「Aさんの記事の半分以上はフィクション」なんて可能性もないとは言えません。
でも、ブログを読む限り作り話ではないように思え、ちょっと心配になりました。
そこで、その記事にコメントを書き込んでみました。内容は「ちょっと心配になりました」ですが、その「心配」の部分をもう少し具体的に書きかえて。
その後Aさんはその記事を削除して、私のブログに丁重なコメントをくださいました。
私のコメントを読んだ後Aさんも考えなおし、削除することにしたそうです。
私は先日ブログのコメント欄を「公開設定」に変更したのですが、Aさんがコメントをくださったのはその後のことなので、もしかしたらそのコメントを見かけた方もいるかもしれません。
ただ、私はAさんからのコメントに気づいてすぐ、そのメッセージだけ非表示に変えてしまいました。
Aさんから私へのコメントには「当該記事は不適切だったと判断した」という趣旨の内容が書かれていましたが、その視点で考えたならば、過去の他の記事も一通り見直した方が良いと考えるだろうなと思ったからです。
もしもAさんの身近な子どもが「こんな記事を書いているの」とAさんに見せたら、Aさんはその子に「やめなさい」と言うだろうなと思われる内容の記事が、Aさんのブログの中にはありました。
Aさんがもう一度自身のブログを見直したら、「削除したい」と思う箇所が出てくるでしょう。
でも、お忙しい立場の方です。これまで書いた全ての記事を、今すぐチェックすることは難しいのではないかとも思いました。
私がAさんからのコメントを公開していると、それを読んだ人が「どんな内容だったんだろう、どんなブログなんだろう」とAさんのブログへアクセスすると思うのです。(実際皆様はどうかわかりませんが、私だったらクリックしたくなる気がしました。)
まだ、記事全体を見直せてないうちに、「どんな内容を書いているんだろう」という観点でブログを読まれるのはAさんにとって不本意ではないかなと。
そんな考えで私はそのコメントを非表示にしました。
そもそもAさんは、「ネットリテラシー教育」を率先して行う立場の人で、おそらく今までに研修もたくさん受けているはずなのです。そんな人でも判断を誤ることがあるのか、自分も気を付けなければなと、ネットリテラシー教育の難しさを痛感したのでした。
だったら、この出来事をわざわざ記事にしない方が良かったのかもしれません。
それでもこの記事を書いたのは、もしかしたらAさんがこの記事を見てくださるかもしれないと考えたからです。
私は自分なりに考えてAさんからのコメントを非表示にしたのですが、Aさんがそれをどう受け止めるかはわかりません。黙ってコメントを消されたままでは、Aさんは嫌な気持ちになってしまうのではないかと、ずっと気になっていました。
件の出来事から、Aさんは記事を更新していません。もしかしたら、もう私の記事をご覧になる機会はないかもしれませんが、もしかしたらこの記事を読んでいただけるかもしれないと考えて、
「コメントを非表示にしたのは、Aさんがブログを一通り見直すまでは、なるべく人目につかないほうが良いのではないかと考えたからで、コメントを不快に思ったというような理由ではありません。今後のご活躍をお祈りしています。」
と、書き残しておきたいと考えました。
最後はAさんへの私信になってしまいましたが、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
ネットって本当に難しいですね。私も日々「これで大丈夫かな」と考えながらブログを書いています。もし私の記事で「これは良くないのでは」と思うことがありましたら、どんどん指摘していただけたら、本当にありがたいことです。
これからも、よろしくお願いいたします。