ききょうけん(キッズの教養を考える研究室)

「キ」ッズの「教」養を考える「研」究室

「いいね」の良さが少しわかったかも~土曜日の編集後記3~

 こんにちは、「ききょうけん」のベル子です。

 

 ブログを始めたばかりの私ですが、Twitterも初心者です。

 

 まだまだ知らないことだらけなので、ブログの更新通知以外つぶやいたことがありません。

 

 1日1回、ブログに記事をあげるごとにつぶやいているので

 

「自分のツイートの件数=Twitterを始めてからの日数」

 

という、カウンターとして便利なような別にそうでもないような状況がしばらく続きそうです。
(そんな私のアカウントでもフォローしてくださっている方、本当にありがとうございます!)

 

 さて、そんな私ですが、Twitter自体には全くなじみがなかったわけでもありません。

 

 アカウントを取らず、つまりログインはせずに「キーワード検索」で適当な言葉を入力してタイムラインを眺めることは今までにもありました。

 アカウントを取った今も、自分でつぶやくことなくタイムラインを眺めている方が好きだったりします。
 
 それでも、せっかくアカウントを登録したのですから、フォローしているブロガーさんの更新通知に「いいね」をしたりと、少しずつ新しいことに挑戦中です。


 とはいえ、やはりそこは初心者、気になるツイートがあっても、「いいね」になかなか踏み切れないことが、この数週間の間にもたくさんありました。

 

 

 その理由は……、「いいね」ボタンの厳密な意味を、よくわかっていないからです。

 

 

 先週「ネットリテラシー」について少し触れましたが、「良くわからないなら、やらないでいた方が無難」という考えが私の中に根本的にあるのですね。


 でも「これなら大丈夫!」と思うツイートに、思い切って「いいね」したりもします。

 

「うちのネコがかわいい!」←いいね!


「この料理おいしそう!」←いいね!


ただただ、楽しいですね。

 

 

 でも、Twitterでは本音や愚痴をつぶやく人も多いので、そんなときは考えてしまいます。

 

「こんな酷いこと言われた!」
「相手を許せなくて、殴りたいくらい!」

 

これは……どうしよう。

 

「それはひどいですね」とは思うけれど、

 

「酷いこと言われた!」に対して「いいね!」って、人の不幸を喜んでるみたい?

 

「殴りたいくらい!」に対して「いいね!」って、殴ることを勧めているみたい?

 

 でも、こうしたツイートにもたくさんの「いいね!」がついていますし、その人たちはきっと不幸を喜んでいるわけでも、殴ることを勧めているわけでも多分ないですよね。

 きっと私と同じように「それはひどいですね」とか「つらかったですね」という共感で「いいね!」しているのだとは思います。

 

「いいね!」は言葉のあやなのでしょう。

 でも、やっぱり自分が「いいね!」するとなると、うーん……。

 

 本当に大丈夫かと不安になり「とりあえずやめておくのが一番」で済ませる毎日を送っていたのですが、

 

 数日前タイムラインに池江璃花子さんのツイートが表示されました。

 

 ニュースなどでご存知の方も多いと思いますが、池江璃花子さんは前回のオリンピックの時、日本競泳史上最多種目の代表選手に選ばれた女子高校生です。

 

 高校卒業を控えた今年の2月、スポーツニュースの枠外で、彼女のツイートが報道されました。

 全文をここに載せることは控えますが、彼女は白血病と診断されて休養することにななったのです。

 

 普段スポーツニュースをほとんど見ない私も、当日トップニュースで伝えられたのを見て、心のなかで快復を願ったのを覚えています。

 

 私は彼女のTwitterアカウントをフォローしていないので、その後の経緯は知らなかったのですが、3月に入ってからの彼女のツイートを、私がフォロワーになっている方がリツイートしたことで、私も読むことになりました。

 

 

 そこに綴られていたのは、闘病生活が思っていたよりもずっとずっとつらいこと、それでも負けたくないという気持ちです。

 

 その時点でもたくさんの「いいね」が集まっていました。少し調べると、すでにニュースで話題になっていたので、誰かのなりすましやいたずらではなく、本人の言葉なのは間違いないようです。
 
 だとしたら、自分も何かしたい。でも、今までの判断基準で考えて、ちょっと躊躇してしまいました。

 

「しんどい」という言葉に「いいね!」って誤解を生まないだろうか。でも、最後は「負けたくない」で結ばれているので、それに「いいね!」ということになるはず。でも、本当に大丈夫?
 

 

「良くわからないなら、やらないでいた方が無難」と一度は思ったものの、

 

 でも、やっぱりクリックしたい

 

 

 数の問題ではないかもしれないけれど、やっぱりこのハートマークの横の数字が大きければ大きいほど、彼女は勇気づけられるのでは。

 

 いろいろ考えた末、

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 思い切って、私も「いいね!」しました!

「いいね!」の意味をあれこれ考えていくうちに、これが一番良い方法に思えてきたのです。


 思い返してみると、彼女の休養の話題が出たときから、いろいろな励ましの言葉があがる一方で「そういう言葉はかえって負担になるからやめた方が良い」という意見もたくさん見かけました。

 

 言葉がけって、難しいですよね。

 彼女のような大変な病気ではなかった私自信も、子どもの頃持病のことで周囲にあれこれ言われことるに対して、ありがたく感じることもあればそうではないときもありました。

 

 でも「いいね!」は、他の言葉を必要としません。私が彼女のことを想っているなら、下手になにか言葉や理屈をつけるよりも、「いいね!」こそが一番だと感じました。

 

 

 誰かのつぶやきを見たとき、理屈で細かく考えていけば「あなたと全く同じ気持ち」なんていうことはないと思います。

 でも、そのような「少しずつの違い」を超えて、ただただ、相手の気持ちを受け入れる、相手に寄り添うことができるのがこの「いいね!」なのでしょう。

 

 もしかしたら時にはその「違いを飛び越える」解釈が暴走して、あらぬ方向に膨らんでしまうことがあるのかもしれません。

 でも、理屈抜きで気持ちに寄り添えるということなら、「いいね!」って良いな、と思うようになりました。

 

 ネットは難しい世界ではありますが、きっと怖いだけではないですよね、

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。