ききょうけん(キッズの教養を考える研究室)

「キ」ッズの「教」養を考える「研」究室

「警察犬」と「先生」と「感情」~日曜日の雑談9~

 こんにちは、

「ききょうけん」のベル子です。

 

 突然ですが、皆さんは「犬」と聞いたらどんなイメージが浮かびますか。

 

「かわいい」「こわい」「かしこい」「ふわふわ」「頼りになる」

人によってかなりイメージが異なるでしょう。ネコに比べると、種類によってサイズや見た目の違いが大きい気がします。

 

 犬を飼ったことがある人なら、その犬のイメージが強いかもしれませんね。

 犬を飼ったことのない私には、犬に対して「これ」というはっきりしたイメージはありません。

 

 

 でも、「犬に対して人間が抱くイメージ」というものについて、一つとても印象に残っている出来事があります。

 

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  ずっと昔、まだ私が学生だった頃、「知り合いの知り合い」くらいの関係性の人が海辺で行方不明になり、みんなで一日かけて捜索することになりました。

 

 実際のところ、私にとってはそれまで全く関わりの無かった人です。知り合いから捜索の手伝いを頼まれるまで、私はその人の名前も顔も全く知りませんでした。ニュースなどで時折、大人数で行方不明者を必死に捜索している映像が流れますが、あの映像の中にもきっと、あの時の私と同じように行方不明者とは直接関わりのない人たちが含まれているのでしょう。

 

 無事に見つかってほしい、自分もできる限りのことをしたい。

 

 そう思ったからこそ捜索に参加しているわけですが、やはり「身近な人が突然いなくなった」という大きな出来事の渦中にいる当事者の方々と、完全に同じ気持ちだと言い切るのは難しいものでもありました。

 

 行方不明になった方のご両親が周囲の人たちに頭をさげながら捜索している姿に、私の立場でどんな態度をとれば良いのか、どんな言葉ならかけても大丈夫なのか、

それを判断できる自信がなかった私は、当事者の方々からは少し距離をおいたところで自分にできそうな仕事をしていた記憶があります。

 

 

 たくさんの地域の人、たくさんの警察官、さらには警察犬も捜索に参加しましたが、結局その日は何の手掛かりも得られないまま解散することになりました。

 

 その帰り道に聞こえてきた会話が、とても印象に残っているのです。

 

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 会話の主は私と同じ方向に歩いて帰る女の子達で、どうやら私と似たような立場で捜索に参加していたようです。

「私、警察犬初めて見た。」

「すごく賢そうだったね。

「あの警察犬、なんか私たちのこと馬鹿だと思ってたよね。」

「ホント、『お前ら馬鹿だろ』って顔してた。」

そんな会話を、私はとても不思議に思いました。

 

 

 私も捜索中に警察犬を見かけましたが、「馬鹿にされている」と感じた覚えは全くありません。そもそも「警察犬のお仕事」の真っ最中の犬は、私たち捜索参加者に対して、何らかの感想を抱くほどの興味もないだろうと思っていました。

 女の子たちの会話を聞く限り、私と同様にたまたま警察犬を見かけたというだけで、特別何か関わりがあったわけではないようなのですが、一体何があったのでしょうか。

 

 

 いろいろ考えてみましたが、正直なところ何もなかったのではないかという気がしています。

 私は犬の習性に詳しくはありませんが、警察犬が「通りすがりの一般人」をいちいち見下す理由などないと思うのです。

 どちらかというと、女の子たち自身の内面で何かが起こっていたのではないかと。

 

 確かに、他の犬に比べて隙のない立ち居振る舞いだったかもしれません。彼女たちの中にある犬のイメージが「愛されるのが仕事のかわいいペット」という雰囲気のものであったなら、「捜索中の警察犬」の雰囲気だけでも違和感を覚える可能性はあります。それに加えて「警察犬は賢い」というイメージで「馬鹿だと思われた」と感じてしまったのではないでしょうか。

 

 そんなこともあるのか。人が抱くイメージって不思議だな。きっと犬の方は何とも思っていないのに。

 

 そんなふうに、ぼんやり考えた学生時代の記憶が、仕事を始めてから他人事ではなくなりました。

 

 

 

 学校を卒業した私は、「先生」という呼び方が日常的に使われる職業につきました。「先生」と呼ばれる人と協力して仕事をすることもありますし、場合によっては私自身が「先生」と呼ばれることもあります。

 そのような仕事をしていて、世の中には、相手が「先生」と呼ばれる立場だと知ったとたん、「こいつは自分を見下しているに違いない」と考えてしまう人が一定数いるということがわかりました。

 

 まだ、会話もない、会ってもいない、何のやりとりもしていないうちからです。

 

 でも、その人にしてみると、何か理由はあるのでしょうね。その人がこれまで経験してきた「先生」と呼ばれる人との思い出だったり、漫画やドラマなどを通して蓄積された「先生」という呼び名に対するイメージだったり。

 

 

 

「『先生』というのは偉ぶっていて、お高くとまっている人間に違いない。自分のような人間を馬鹿にしているに違いない」

 そんな態度の人に会うたびに、警察犬と女の子たちのことを思い出すようになりました。

 

 それを思い出したところで、すでに定着してしまったイメージに対して私ができることは限られています。

 

 でも、あの時の記憶があることで、見えるようになったものがあるのは確かです。

 

「先生」とは関係ない子ども同士・大人同士の諍いについても、直接の諍いの相手とは全く関係のない、それぞれの過去の記憶が根本的な原因かもしれないという視点を持てるようになりましたし、

 

私自身が誰かに対して良くない印象を持った時、「もしかしたらこの感情は私の内面の問題であって、相手には何の原因もないのかもしれない」と考えてみることができるようになりました。

 

 

 結局、人の内面や感情がわかることなど、そうそうあるものではないのでしょう。相手の気持ちを汲んでいるつもりでも、やはりどこかに、受け取り手である自分の主観が反映されていて、自分の解釈したいように他人の感情を読んでいるのかもしれません。 

 

 

 だとすると、「警察犬が私たちを馬鹿にしているなんてことはないだろう」というのも、私の思い込みだったりするのでしょうか。真実はあの時の警察犬にしかわからないですね。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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