「先生は見て見ぬふり」と思っている人へ~日曜日の雑談28~
こんにちは、
「ききょうけん」のベル子です。
土日は雑談記事を書いています。お気軽にお付き合いください。
表題の「先生は見て見ぬふり」、この表現から皆さんはどんなことをイメージするでしょうか。
この言葉、学校でのいじめの話題で時々出てくる言葉です。
「私がいじめられているのを先生は知っているのに、見て見ぬふり。」
だから被害を訴えても仕方ない、そう思っている子どももいるようです。
大人でも、そういった言葉を口にすることがあるでしょう。身近な子どもから聞いたいじめ被害について相談する時「先生は見て見ぬふりなんだそうです」とか、自分自身の子どもの頃の体験を語る時「先生は見て見ぬふりだった」とか。
もしかすると、いじめと関係のない話題でも出てくることがあるかもしれませんね。いじめでもいじめ以外でも「最近そんな言葉を聞いたな」「そんな言葉を思い浮かべたことがあったな」という方がいましたら、この記事に最後までお付き合いいただければ幸いです。
私は現在学校の先生ではありませんが、仕事で学校に出入りすることもあります。
以下は、学校で仕事をした経験から行きついた、私の個人的な考えです。
いじめを目の前で見ているのに、先生はどうして「見て見ぬふり」をするのか。
実は「見て見ぬふり」はしていません。大抵の場合「いじめに気づいていない」のです。
目の前にまさにいじめが起こっていたとしても、全てを目の当たりにしていても、先生は気づきません。
いじめられている側の子どもからしてみると信じられない話かもしれませんが、そういう状況の時の先生はたいてい、いじめを認識していないのです。
私の実体験として、何度となく驚かされることがありました。
子ども達が担任の先生の前で何かをした時、基本的に私はその場で行動する立場ではありません。担任の先生がいるのですから、お任せするわけです。でも気になることがあれば、後で確認や相談をすることになります。
担任の先生がその場で対応しないままなら、やはり気になりますから後で職員室で質問するわけですが、
「あの子たち、〇〇さんにあんな態度とっていましたけれど…」と話を振ると、大抵の場合
「えっ?そんなことがあったんですか?私はそういう場面を見たことがありません。いつ、そんなことがあったんですか?」と聞き返されるのです。
いや、あなたの目の前でやってましたよね。つい先ほどのことですよ。というか、この前も先生の前でやってませんでしたか?
1つずつ具体的に場面を説明しても「そんなことがあったんですか」という反応だったりします。
その先生方の反応を見る限り、決してとぼけているわけではなく、本当に気づいていないようなのです。
もちろん、そういったことに敏感な先生もいますし、どう考えても暴力以外の何ものでもないような行動があれば、気づいて指導するはずです。でも「軽く小突く」「物をいじる」「悪口を言う」くらいだと、まさに目の前で誰かが被害にあっていても気づかないという先生は、意外と少なくありません。
どうしてそうなるのか、私なりに考えた理由は以下の通りです。
仲の良い友達同士でも、ちょっとした悪戯をしたり、失敗や容姿を茶化したりし合うことはあります。
「ちょっと何するんだよ~、やめろよ~」
「そういうお前こそ、やめろよ~」
「そんなことするなら、この間のあれ、みんなにバラすぞ~」
「やめろよ~、あれバラすなら、俺もあれ皆に見せるぞ~」
そんな会話です。そうやってじゃれあって楽しんでいることもあれば、時には度が過ぎて喧嘩になることもあります。そして、「自分はこれ以上やられたら嫌だから、相手にもこれ以上はやらないようにしよう」と考えたりもするでしょう。
この時、ちょっとした悪戯心や悪ふざけの言動を矢印でイメージすると、
教室はこのような状態になっているわけです。
ちょっとした悪戯心や攻撃的な言葉が、あっちこっちに飛び交っています。
繊細な子どもの中には、このような「少し悪意のある言動が飛び交う環境」自体に、居心地が悪く感じる子もいます。特に誰かに何かされたわけでもないけれど学校に来づらくなるという子も、決して少なくはありません。そのため、このようなクラスの雰囲気は好ましくない状態なのではとも思います。
でも、大抵の子ども達はこの時点では「お互い様」と認識します。「自分が何かの被害にあっている」とは認識しないですし、大人に助けを求めたいとは考えないでしょう。
むしろ、そういうちょっとした悪ふざけに目くじらをたてる大人がいたら「面倒くさい」「口うるさい」と感じるかもしれません。ですから「子どもの日常」として特に気にしない先生はたくさんいます。
そんな状況が、明らかな「いじめの現場」に変わることがあります。何かの加減で、悪意の矢印の向きが集中するのです。
こうなると、矢印を集中的に向けられた子は「いじめられた」と認識します。誰かに助けて欲しいと思うかもしれません。
でも、先生は何もしてくれないことがあるのです。
誰かに矢印が飛んで行っているのは、先生も目の前で見ています。でも、矢印が飛び交っているのは、いつもの風景です。いじめと認識するには、矢印の向きの一つひとつを把握して、そのうえで全体に偏りが生じていることに気づかなくてはいけません。
集中的に矢印を向けられている子どもは、当然自分に悪意が集まっていることに気づきます。でも、同じものを見ていても、周囲の人間はその矢印の偏りまで把握していないことがあり、それは先生でも例外ではないようなのです。
「悪意の矢印」の一つひとつは今までも見かけてきたものなので、いちいち気にならなくなってしまっているのでしょう。
子どもの集団を見守るプロである以上、教師はその矢印の向きまで把握するべきなのかもしれません。でも、実際にはそれが難しいのが現実です。理想として「こうあるべき」だと語っても、解決にはつながらないでしょう。
では、どうすれば良いのでしょうか。
個人的には「日ごろから矢印を減らす努力をした方が良いのではないか」と思っています。クラスの中には「矢印が飛び交っている」だけでストレスに感じる子もいるかもしれませんし。仮に「お互い様」で問題が無かったとしても、日ごろから飛び交っている矢印が多ければ多いほど、いざ「いじめ」に発展した時に気づきにくくなります。最初から矢印が少なければ、矢印が集中することもないですし、万が一そういう状況になったときにも「様子がおかしい」と気づくことができるでしょう。
でも、先ほど少し書いたように「友達同士で軽口を言い合うのも止めるなんて、潔癖すぎるのでは」と考える人もいます。大人でも子どもでも、そう思う人はいるでしょう。ですから、「軽口をなくすべき!」という考えを他人に押し付けるつもりはありませんが、「いじめの加害者にも被害者にもなりたくないな」と考えているなら、良好な人間関係のうちから言動に気をつけておくというのは、一つの予防策としてお勧めです。
いずれにせよ「先生は目の前で見ていても気づかないことがある」というのは事実だと思います。このことを頭の片隅においておくだけでも、今後の対策や気の持ちようが変わってくるでしょう。
もしも今まさに現在進行形で、「先生は見て見ぬふりをしているのだから、いじめ被害を訴えてもしょうがない」という子がいましたら、「まずは本当にいじめに気づいているのか、話し合ってみようか」と、一度考えてみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。