ききょうけん(キッズの教養を考える研究室)

「キ」ッズの「教」養を考える「研」究室

天気に敏感になりたい~日曜日の雑談12~

 こんにちは

ききょうけんのベル子です。

 

 突然ですが、皆さんは天気や気象と言われるものに興味はありますか。身近な子どもたちと、天気についての話をしますか。

 

 

 正直なところ、私は今まで、天気に対してあまり興味を持たない人間でした。

 理由はいろいろとありますが、一番の理由は「良くも悪くも鈍感だから」でしょう。

 

 子どもでも大人でも、気候によって体調が左右される人は少なくないようですが、そういう方はやはり今日の天気も明日の天気も気になりますよね。

 また、おしゃれに敏感な人なら、その日の服装を決めるのにも天気の把握が欠かせないと思います。

 

 

 自分はそういったことに鈍感で、天気によって体調が変わることもありませんし、日々どんな天気でも困らないような服装をしています。

 諸事情により洗濯物を常に部屋干ししているうえに、外出時はいつも晴雨兼用の折り畳み傘を持ち歩いているので「雨が降るかどうか」を事前に確かめる習慣があまりありません。

 

 

 そんな状況なので、いつもニュースの天気予報コーナーは聞き流してしまっています。台風や大雪のように、天気予報以外のコーナーでニュースとして扱われた気象情報だけ把握している状態です。

 

 

 そんな私ですが、この歳になって急に「気象に敏感になりたい」と思うようになりました。

 

 理由といいますか、きっかけになった出来事が2つあります。

 

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 1つ目のきっかけは、2年前のある夏まつりのニュースです。

 

 当時ご覧になっていて覚えていらっしゃる人もいるかと思いますが、ある町のお祭り会場で突風が発生し、露店等が吹き飛ばされてしまうというトラブルが発生しました。打撲で病院に運ばれた方や飛び散った調理用油でやけどを負った方もいて、お祭りは中止になったそうです。

 

 その場に居合わせた人たちの話では、突風が吹くまえから風は強くなってきていたようなのですが、屋台や油の入った鍋が吹き飛ぶほどの風は突然吹いたのだとか。

 

 そんな内容のニュースが報道番組で流れていたのですが、その時にコメンテーターとして出演していた気象予報士さんが言っていました。

 

「インタビューで話していた人は『急に突風が吹いた』と言っていたけれど、何の前兆もなく突然発生するなんてことはありえない。気温の変化など何らかの前兆が必ずあったはず」と。

 細かい表現は覚えていませんが、そのような内容のことを話していました。

 

 一応誤解のないように付け加えておくと、その予報士さんの発言からは「前兆をつかめなかった人が悪い」という意図は全く感じませんでした。

 でも、今後自衛のために、自分の身の回りの空気の変化は自分の身体で感じとっておいた方が良いということなのだと思います。

 

 

 この発言に、私は考えさせられました。

 

「これからの天気を知りたい」と考えたら、現在は天気予報を見るのが一般的です。でも天気予報などなかった時代の人たちは、雲の動きや風の変化などから「これから荒れるかも(だから畑仕事をここまで進めておこう)」とか常に考えていたのでしょう。現代のような知識も技術もない中、下手をすれば生死にかかわる問題ですから、真剣です。常に五感全体でアンテナをはって、それによって得た知識や経験をもとに、その場所の天気の移り変わりを予想していたのではないでしょうか。

 そのような時代の人々から比べると、私たちは気象というものに鈍感になっているのでしょう。私はその最たる例ではありますが、天気予報をしっかりチェックしている人たちも、自分が今いる場所の天気とその移り変わりを自分の肌で感じ取ろうとする気持ちは、天気予報の精度が上がるにつれて弱くなっているのだと思います。

 

 でも気象予報士さんのように、今でもそういったことを「自分で感じ取る」感性を持っている方もいるのですね。得られる知識が増えた分、昔の人たちよりもさらに敏感に感じ取れるのかもしれません。

 

 

 同じ場所にいたとしても、自分には全く見えていないものが見える人がいるのだな。

 自分には見えていないけれど、確かに起こっていることがあるんだな。

 

 そう思いました。

 

 

 でも、この時点では特に「何か行動しよう、自分を変えよう」という気持ちは全くありませんでした。

 

 

 2つ目のきっかけは、こちらもテレビの気象予報士さんの話なのですが、先ほどの方とは違うベテランの予報士さんが、10代で気象予報士の試験に合格した男の子とクイズ対決をするという企画をやっていました。

 その番組の中で、気象予報士さんというのは植物などの変化にも敏感だということを初めて知りました。

 

 気象庁が桜の開花日を記録しているのは有名ですが、それだけではなく、いろいろな植物のデータをとっているのですね。

 単純に「晴れた」「雨が降った」「気温が低い」「風が強い」というだけでなく、そういった変化と密接に関係する風景の変化もしっかり観察している人たちなのでしょう。

 

 私は散歩が好きなのですが、通り道の花を「綺麗だな」と思うことはあっても「去年はどうだったかな」とか「それじゃあ、他の花はどうなっているだろう」とか「もう、そんな暖かさなのか」という視点でじっくり考えることは、今までほとんどありませんでした。

 

 

 気象予報士の勉強をしたら、目の前の景色が今よりもっと輝いて見えるようになるのかも。

 2つの出来事から、そんなふうに考え始めたのです。

 

 とはいえ、本格的に気象予報士の勉強を始めようとは、さすがに思えませんでした。

 資格の勉強をするのは好きで、仕事に関わる資格をこれまでにもいくつかとってきましたが、「もっと素敵な景色が見えるかも」という理由だけで気象予報士の資格取得を目指すというのはやはり難しく、現在そこまでの余裕はありません。

 そもそもの問題として、自分はそういった感性が乏しいのかもしれないとも思います。きっと、「気象予報士になりたい」と思う人は身の回りの季節の移り変わりに自ずと興味を持つ人たちなのでしょう。

 

 

 でも、今こうして少し興味を持ったわけですし、自分の中に生まれた新しい「ものの見方」を育てていきたいな。

 そして、もし今よりも景色が輝いて見えるようになったなら、その楽しみを子どもたちにも伝えてみたい。

 

 今はそんなふうに考えています。

 せっかくブログを始めたので、気象予報士さんのブログを見つけて読むところから始めてみるつもりです。

 来年の私には、今年と違う春が見えているかしら。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。