歌の解釈に成長を感じるような感じないような~日曜日の雑談15~
こんにちは、ききょうけんのベル子です。
突然ですが、皆さんは日常生活の中で、自分自身の思考を振り返って「成長したなあ」とか「年をとったなあ」と感じることはありますか。
そして、それはどんな時でしょうか。
私自身は、成長といいますか自分の内面の変化を感じることがよくあります。
そう感じる状況は色々あるのですが、特に多いのは「昔聞いた歌や見たストーリーを思い出した時」です。
ふと昔聞いた歌を口ずさんで、「あ!これってこういう意味だったのか!」と急に気づくことはありませんか。
最近は昔の歌の歌詞をネットで調べるなんていうこともできるようになったので、「結局あれ、なんだったの」という疑問を解消しやすくなっていますしね。
また、昔読んだ本を読み直したら、子どもの頃は理解できていなかったセリフの意味が初めてわかったり。
私はここのところ、読書感想文関連の記事を書いていることもあり、子どものころ読んだ本のことをあれこれ思い出すのですが、
「今考えると、あれって〇〇だったなぁ」
と思う機会がとても増えました。
その解釈が正しいかどうかはさておき、昔の自分だったら思いつかない視点が生まれたとき、月日の流れによる自分の変化を感じます。
そんな中で「昔は全く気にせず流していたけれど、今考えるとすごく気になる」歌があります。
NHKの「みんなのうた」で放送されていた(いまでもされている?)「山口さんちのツトムくん」という歌なのですが、ご存知でしょうか。
歌詞を全て書くことは控えますが、内容としては、
・ある子ども(曲中名前は出てこないので、仮にAちゃんとします)の視点で語られる
・(歌と一緒に流れるアニメーションによると)Aちゃんは女の子
・(同じくアニメーションによると)ツトム君とAちゃんは同じくらいの年で、二人ともかなり幼い
・「ツトム君」は最近元気がなくて、誘っても遊んでくれないのでAちゃんはつまらない
これが、2番までに語られます。そしてラストの3番では、
・田舎へ行っていたママが帰ってきたとたんツトム君は元気になった。
・イチゴ(田舎のお土産)をAちゃんのところまでツトム君が持ってきてくれた。
ということが語られ、摘んだばかりのイチゴを食べたAちゃんの
「ちょっぴりすっぱいね」
というコメントで終わります。
このようなストーリーについて、子どもの頃の私は
「ツトムくんは、ママが大好きなのね」
「そりゃあ、小さい子ならママがいないと寂しいよね」
「でも帰ってきたとたん元気になるなんて、単純で拍子抜けしちゃうなあ」
「イチゴの酸っぱさはAちゃんのツトム君ママに対する淡い嫉妬心?」
くらいの解釈をしていて、特に好きでも嫌いでもない歌でした。
ただ、歌い出しが印象的なので、時々なんとなく思い出して口ずさむことがあったのですが、ある日ふと思ったのです。
「ツトム君のママは、どうして『田舎』に行っていたのだろうか」
この「田舎」というのを「ママの実家」ととらえるか、「イチゴ農家がたくさんあるような地域」ととらえるかでも話が変わってきますが、
(ちなみに「田舎=ママの実家」という可能性に思い至るまでにも、最初にこの歌を聞いてから数年かかっています)
仮におじいちゃんおばあちゃんに会いに行くということなら、ツトム君を連れて行っても良いと思うのです。
ツトム君に元気がなかったのは、もしかすると「ママがいない」という単純な理由ではなかったのかも?
「パパとママが喧嘩した。ママはもう帰ってこないかもしれない」とか?
そんなことを考えついたとき、自分の心の中は子どもの頃と違うんだなと思いました。
これは、日頃から子どもと接している職業柄「子どもや家庭の事情を見る目が変わった」ということなのかもしれません。「自分が接している子どもに元気がない」という状況になったとき、原因を考えるのは仕事上必要なことなので。
一方で「ドラマとかワイドショーの見過ぎなのかしら……」というあまり嬉しくない、成長とは言い難い変化のような気も、少ししています。
そもそも、「ママが実家に帰る」展開では「子どもの歌として流すのには意味深すぎる」内容だということになってしまうので、考えすぎな気がしますし。
では、この曲はどういう設定で書かれた歌なんだろうかと、あらためて考えてみたのですが、
・ママは出張か研修に行った
・ママは期間限定のアルバイト(イチゴの収穫)に行った
・ママの実家で誰かが体調を崩し看病に行った
・ママはパパと喧嘩して実家に帰った
・ママの実家で法事があった
・ママは実家のイチゴ農家の手伝いに行った
いろいろ説は出てくるものの、真相はわかりません。
一応、私としては「ママは実家でイチゴの収穫をしていた。例年は手伝いに行かないが、今年は何らかの事情で人手不足になり、急遽助っ人が必要になった。」説を推したいと思います。
でも、その時自分がおかれている状況によって、解釈の仕方は変わってきそうです。私自身の心境がまた変わったら、きっと別の説が生まれてくるのでしょう。
10年後の私は、この歌をどう捉えるのでしょうか。「成長を感じられる変化」であってほしいものです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。