ききょうけん(キッズの教養を考える研究室)

「キ」ッズの「教」養を考える「研」究室

書いた文を見直す(中級・前編)~今日から始める読書感想文㊳~

 

 こんにちは、

キッズの教養を考える研究室、略して「ききょうけん」です。

 

 この「今日から始める読書感想文」シリーズは、前回から「一通り書き終わった文を見直す」作業がテーマになりました。

 

※前回の記事はこちら↓

kikyouken.hatenablog.com

 

 

  初級編の前回は、主に「誤字脱字」と「表記ゆれ」の見直しについて書きました。「校正」と言われる範囲の内容です。

 今回は「文法的な観点」での文の見直しについて考えます。「校正」に関わる部分が多いのですが、一部「推敲」に関わる部分についても紹介します。

 

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◎主語と述語の一致

 

 子どもの作文で、文法的な誤りとして良く見かけるのが「主語と述語がかみ合っていない」文です。

 

 

①私の夢はテニスの選手になることだ。

②私はテニスの選手になりたい。

③私が将来なりたいのはテニスの選手です。 

 

 上の3つの文は、ほぼ同じ内容ですね。どれも間違いではありません

 

 それに対して、

 

④私の夢はテニスの選手になりたい。

⑤私が将来なりたいのは、テニスの選手が夢だ。

 

というのは不自然な文ですが、こういった文を見かけることも少なくありません。

 

 少し詳しく見てみましょう。

 

④私の夢はテニスの選手になりたい。

 

 この文の述語は「なりたい」です。

 ではこの「なりたい」の主語は何か、「なりたい」のは誰なのか、と考えると、

 

私は なりたい

 

というように「私は」を主語として書くのが正しいと言えるでしょう。②の文がそうですね。

 でも④の文では、主語(主部)に当たる部分が「私の夢は」で、

 

夢は なりたい

 

という形になってしまっています。

 

なりたいと望んでいるのは「私」あって「夢さん」ではないので、この文は誤りです。

 

 

 もう一つの文についても考えてみましょう。

 

⑤私が将来なりたいのは、テニスの選手が夢だ。

 

 文の一番最後にあたる「夢だ」が述語です。

 では何が「夢」なのか、夢とイコールの関係になるのは何なのか、と考えると

 

夢=テニスの選手になること

 

ですから、

 

夢は ~~することだ。

 

というのが、正しい形だといえます。

 

 

 短い文で考えればそれほど難しくないのですが、長い文を書いていると、その文の書き出しが何だったかうろ覚えになってしまうことは、決して珍しくありません。大人が書いた文でも時々見かけます。

 仮に主語と述語が一致していなかったとしても、大抵の場合は、言わんとしていることをなんとなく伝えることはできています。でも、そうしたミスが数多く存在する文章は、全体的に読みづらくわかりづらいという印象を与えてしまうでしょう。

 やはり、注意深く見直して、適切な形に修正する必要があります。

 

 見直しの方法としては、一文ごとに確認していくのが一番です。

 一つの文が終わったところで、その文末を見て述語を確認し、その述語に対応する主語はどんなものであるべきかを考え、文をさかのぼって答え合わせをするというのがオーソドックスな方法でしょう。

 また、こうした見直しをしているときに「なんだか複雑だな、よくわからない」と感じたら、その文を2~3文に分けて書き直すというのも一つの方法です。短く簡潔な文になれば、主語を見失いづらくなりますから。

 

 

◎能動態と受動態

 

 文を書くうえで、主語にあたる人物が「する側」なのか「される側」なのかがはっきり伝わるように書くことは重要です。

 でも、長めの文を書いていると、うっかり間違えてしまうケースは少なくありません。

「主語と述語」の話とも関連する問題なのですが、個別に少し詳しく考えていきましょう。

 

 例えば、AさんがBさんに誕生日プレゼントをもらったというエピソードについて、Aさんが書くとします。

 

Bさんが家に来て、「お誕生日おめでとう」と言ってプレゼントをもらいました。

 

というような表現は適切とは言えませんが、子どもたちの作文の中では決して少なくないのです。

 

 確かに筆者のAさんにしてみれば「プレゼントをもらった」という印象があるのでしょう。でも「Bさんが」という書き出しで始まり、特に途中で他の主語に変わるような表現はありませんから、最後のプレゼントに関してもBさん視点で考えなくてはいけません。Bさんはもらった側ではなく上げた側ですから、

 

Bさんが家に来て、「お誕生日おめでとう」と言ってプレゼントをくれました。

 

というように直した方が良いということですね。

 

 自分で見直して気づければそれが一番良いのですが、それはなかなか難しいのも事実です。

 大人が見直して「おかしい」と思うことがあった場合に、「子どもが理解できるまでとことん説明する」というのは無理な場合もあります。

 

「現時点で理解が難しい」と感じた場合は、あまり理詰めで説明せずに「読みづらいから一文を短くしよう」と促した方が良いでしょう。

 

Bさんが家に来ました。

Bさんが「お誕生日おめでとう」と言ってくれました。

私はBさんにプレゼントをもらいました。

 

そして同じ主語が連続する場合は、2つ目以降を省略するように声をかけます。

 

Bさんが家に来ました。

「お誕生日おめでとう」と言ってくれました。

私はBさんにプレゼントをもらいました。

  

 このような手順で考えていけば、「する」「される」の使い方のねじれを修正することができるでしょう。

 

 

◎次回は中級の続きです

 

 今回は主に「主語と述語がかみあっているか」という観点の見直しについて考えました。

 字数が増えてきましたので、今回はここで終わりにします。

 次回は「並列」や「時制」などについて、正しく書けているか見直すための観点を紹介します。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。