ききょうけん(キッズの教養を考える研究室)

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運動会はスポーツの祭典なのか~日曜日の雑談20~

 こんにちは、

「ききょうけん」のベル子です。

 

 日曜日は雑談記事です。お気軽にお付き合いください。

 

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 スポーツの秋ですね。

 近所の小学校は、昨日運動会だったようです。

 

 春先に運動会や体育祭を開催している学校もあるようですが、秋開催の学校もたくさんありますね。

 

 小学校の運動会は大抵の場合、近隣の小学校と日程が統一されていることが多いのではないかと思います。

 私が子どものころ住んでいた市でも、基本的には同じ日程だったようです。でも、私の通っていた学校だけが、他の学校よりも一週間早く開催していました。

 

 それは、私たちの学校の運動会のプログラムの中に「学校対抗リレー(仮名)」があったからだと思います。

 毎年、市内の各学校の足の速い子たちが集まってリレー勝負をし、どの学校のチームが一番速いかを競う催しをやっていたのです。他の小学校が運動会をやっている日にはできませんから、一週間ずらしていたのでしょう。

 

 運動会といえば、基本的には体操着でやるものですよね。でも、この学校対抗リレーに出場する子たちは、それぞれの学校のユニフォームを着て走ります。

 それだけでもちょっと「凄い競技なんだ」という印象を受けます。そして実際に各学校の「凄く速い子」ばかりが集まるわけですから、結構な盛り上がりです。足の遅かった私には縁遠い世界でしたが、見ているだけでも楽しめました。

 

 でも、風の噂によれば、最近は開催されなくなったようです。

「学校間で優劣をつけるのは良くない」という指摘を、どこかの団体から受けたとか。本当のところの事情はわかりませんが。

 

 その話を聞くまで、この学校対抗リレーが「学校間で優劣をつけている」という発想は自分の中に全くありませんでした。

 観戦していた当時「優勝した学校は凄い」と思ったことはあったものの、「予選落ちした学校は大したことない」と思った記憶はありません。市内にはそれなりの数の小学校がありましたから、予選レースは何グループかに分けて行われます。各レースごとに順位はつきますが、個々のタイムを発表しているわけではないので「全学校トータルの順位」はわからないのです。そして全体の約3分の2は予選落ちしてしまいますから、「負けた学校」の印象は薄く「勝ったチーム」のインパクトだけが残っていたのです。しかもあくまでも代表の4人がリレーで優勝したというだけですから「あのチームは速い、凄い」というだけで、「あの学校はとても優れている」という感覚とはかなりかけ離れたものでした。

 

 でも、各学校の陸上担当の先生間で意地がぶつかり合い、指導が過熱しすぎてしまったことがあったのかもしれませんし、なにか大きな失敗をして負けた学校の子たちが、その後他校の児童に何か言われたといったトラブルが起こったのかもしれません。

 時代の流れとしては、しかたないところもあるのでしょう。

 

 

「でも、あの『スペシャル』感は楽しかったので、ちょっと寂しい気持ちもあります。」

という話を、地元の異なる知人にしたところ、

「どちらかというと、活躍の場をなくした子がかわいそう」

と言われました。

 

 なるほど確かにそういった見方もありますね。

 

 そして知人のその言葉で当時の子どもたちの様子を思い出しました。

 知人は「リレーで実力を発揮するはずの子が、活躍の場をなくしてかわいそう」という意味で発言したようですが、当時を振り返ってみるとあのリレーを晴れ舞台ととらえていたのは、足の速い子ばかりではありませんでした。

 

 学校対抗リレーを始める前には、選手の入場行進もありました。その際、各学校の選手の前には、各学校名のプラカードを持った女子が歩きます。その仕事は、私たちの小学校の6年生女子がやることになっていました。

 オリンピックや甲子園などのテレビ中継でも、そういうシーンがありますよね。その影響なのか、そのプラカード係をするのをとても楽しみにしていた女の子が一定数いたのです。私の同級生には「リレーの選手に選ばれてしまいそうだけど、選手になったらプラカード係ができなくなるから、選ばれたくない」なんていう子も。

 反対に「恥ずかしい、やりたくない」という子もいたように思いますが、私たちの代では少数派でした。5年生のうちから「6年生になったら○○小学校のを持ちたいな。友達がいるから。」などと話してみたり、空き時間にプラカードをちょっと拝借して予行演習(?)してみたりと、キャッキャと盛り上がっている女子がたくさんいました。

 そういった部分でも「スペシャルなイベント」感があったのでしょう。

 

 

 

 そう考えてみると、スポーツが得意でない子にも、運動会で活躍の場を作ることは可能なのではないかと思いました。

 

 大人になってから運動会の話題が出た際に、「運動が苦手だったから、子どもの頃運動会が憂鬱で仕方がなかった」という話を時々聞きます。でも、「運動」以外の活躍の場がたくさん設けられていたら、運動が嫌いなタイプの子にも「良い思い出」として心に残る運動会にできるのかもしれません。

   

「プラカード持ち」にもある程度の腕力や歩く力、集団行動に通じる技能が必要ですから、さすがに低学年の子どもには厳しいかもしれませんが、高学年の児童であれば「運動はあまり得意でない」という子にも十分務まります。実際、プラカード係を希望していた子の中には、運動が苦手なタイプの子も少なからずいました。

 学校対抗リレーがなくなっても、別の形で「プラカード係」だけ残すこともできたかもしれません。入場行進でなくても、応援団でチアガールとか、そういったものに憧れる子もいるでしょう。

 

 運動会を運営するにはいろいろな役が必要です。選手だけでは成り立たないでしょう。

 放送席で頑張っている子もいましたし、徒競走で着順札を配る係も、極めたら「私も高学年になったら着順札係やりたい」と低学年の子から憧れられるような仕事になるかもしれません。

 みんなが元気に終えられるのが一番ですが、救護や案内係のような「お世話」のお仕事を希望する子もいますよね。昨今の熱中症などの事例をふまえて「給水所」を作って飲み物を配るお仕事なども演出次第で盛り上がりそうです。(衛生上の問題等で、いろいろ難しいとは思いますが。)

 

 

 競技にしても、ラジコンやロボットのレースのようなものがあれば、普段の運動会では張り切らない子が張り切るかもしれません。

「仮装して走る」ような種目があれば、前日までの衣装づくりに夢中になる子がいるかも。

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 とはいえ、運動会の運営上「多様な活躍の場をつくる」というのは、やはり難しい面もあるのでしょうね。やはり、先生方の仕事が増えてしまいそうです。

 

 でも、「係の決め方を少し変えるだけでも、状況は違ってくるかもしれないな」と自分自身を振り返って思います。

 

 前述のプラカード係ですが、私はあまり気が進みませんでした。別に「恥ずかしい」「嫌だ」という気持ちはなかったのですが、他にも別の係を割り振られていたため、両方こなすとなると忙しいという理由からです。でも、当時私の学年は人数がとても少なかったため「選手以外の6年生女子を全員駆り出さないと、プラカード係の人数が足らない」という状況で、私も持つことになりました。

 そして、当日かなり忙しくバタバタ動くことになりました。

 

 それはそれで良い思い出なのですが、今考えると理解できないことが1つ。

 どうして自分は「そんなに人が足らないなら、5年生に手伝ってもらおう」と言えなかったんだろうと。

 

 5年生で手の空いている女子の中には、プラカードを喜んで持ってくれる子がたくさんいたはずなのに。

 私だけでなく6年生の中にいた「単純にやりたくない女子」に「人数少ないから全員参加ね」と強制参加させるより、やりたい5年生にやらせた方が楽しい運動会になったはずなのに。

 今の時代なら、「女子に限定しないで、希望するなら男子でも」とも考えられますね。

 

 同じお仕事内容でも機会的に割り振るのではなく「希望した子が希望した仕事をできるようにする」だけで、かなり空気が変わるのではないでしょうか。「希望した仕事を前向きに取り組む」様子を見ることで、また下の学年の子どもたちも「私も来年はあの仕事をやりたいな」と考えるようになるかもしれませんし。

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 いろいろ書いてきましたが「学校」「運動会」という単位では、おそらく現状から変わるのは難しいと思います。「運動が苦手な子にとっては憂鬱に感じられてしまう」運動会は、一朝一夕でできたわけではないので、今の形式になっているのには、相応の理由があるのでしょう。

 ただ、もしも「運動が苦手だから運動会が憂鬱だ」という子がいましたら、

 

「自分がおもしろそうと感じられる係の仕事など、競技とは別のところで『やりがい』を見つけてみたらどうでしょう」

 

という話でした。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。