ききょうけん(キッズの教養を考える研究室)

「キ」ッズの「教」養を考える「研」究室

「ただ、そばにいる」物語(後編)~3行で振り返る読書(9)

 ※ネタバレ注意

 

今回は、重松清さんの小説「きよしこ」(新潮社文庫)の内容に関する記述が含まれます。

 

 こんにちは、

キッズの教養を考える研究室「ききょうけん」のベル子です。

 

 今回の「3行で振り返る読書」は重松清さんの「きよしこ」を振り返る後編です。

 

※前編はこちら↓

kikyouken.hatenablog.com

  

 

 まずは前回振り返った3行を思い出してから、後編に進みます。

 

(シリーズ全体を通して、あくまでも私の個人的な感想や解釈に基づくものなので、筆者の意図から外れていることもあるかもしれません。その点はご理解くださいますようお願いします。)  

 

    

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◎3行で振り返る

 

 本の内容は→転勤族の家庭に生まれた吃音を持つ少年と、その周囲の人間ドラマ

物語のテーマは→励ましでも支えでも、慰めでも癒しでもなく、「ただ、そばにいる」

感じたこと→望んだことも望んでいないことも、全ては0にも100にもならない

 

 

◎主人公の境遇

 

 この物語が、

 

プロローグ

7つの物語

エピローグ

 

という構成になっていて、「プロローグ」では7つの物語を書くまでの経緯が語られているということは、前編で書いた通りです。

 

 そして7つの物語のうち最初の物語が、全体のタイトルにもなっている「きよしこ」です。7つのどの物語にも重要な要素はありますが、1つ目の「きよしこ」は全体の内容を語るうえで非常に重要だということでしょう。

 

 少し表題作「きよしこ」から読み取れる主人公の境遇について、書いていきます。

 

 タイトル「きよしこ」はクリスマスの時によく歌われる「きよし この夜」からきています。小さな子どもでも歌う歌ですが、「ねむりたもう、いとやすく」など言葉遣いが古典的で、意味は分かりづらいですよね。

 主人公の少年「清(きよし)」は幼かった頃「きよし、この夜」ではなく「きよしこの、夜」だと誤解していました。自分の名前とよく似た「きよしこ」という子の歌ではないかと思っていたわけです。そこから想像が膨らんでいき、清は「きよしこ」にピーターパンのような夢を抱きます。ある夜窓から入ってきて、お友達になってくれるのではないかと。

 空想の友達を待ち焦がれるくらい、小学1年生の清は孤独でした。

 清の家庭環境は、決して劣悪なものではありません。ただ清は吃音持ちで、お友達と仲良くなるまでのハードルが他の子よりもちょっと高いのです。また、吃音を自覚している清は発話を躊躇することがあり、そのために周囲から誤解されやすく、学校の先生から不当な評価をつけられてしまうこともありました。

 それだけなら、いずれ打ち解けて、清のことを良く理解してくれる友達ができるかもしれません。でも父親が転勤の多い仕事についているため、清は転園・転校を繰り返すことを余儀なくされます。新しい学校に転入すれば、最初にすることは自己紹介です。それは「言葉がつっかえて、上手に話せない」清にとって、他の子どもたち以上に辛いことでした。特に清は「か行」や「た行」が苦手なため、自分の名前「きよし」を言う時にとても緊張するのです。

 清の両親は、清の吃音を責め立てたりはしません。でも両親としてはやっぱり通知表の評価が気になっているということも、「いずれ普通にしゃべれるようにならないと」と考えているということも、清は知っていました。そして、そんな清の吃音に関して両親が責任を感じていることも、清は知っていました。

 吃音の原因は医学的に解明されていません。でも清の家庭では、吃音の原因に心当たりがありました。

 清には「なつみ」という妹がいますが、清の母はなつみを妊娠している時に体調が悪くなり、清を父方の祖父母に預けることになったのです。事実を伝えると清が悲しむだろうと考えて、両親は清が寝ている間に祖父母宅に預けてしまいました。何も知らずに目を覚ました清は、両親の姿がどこにもないことにショックを受けることになります。

 実際にこれが原因だったのか、本当のところはわかりません。でも、清も清の両親も、この件が原因だと考えているようです。誰が悪いわけでもない「仕方のない」状況だった一方で、「何かもう少し上手く対処していれば」と悔いも残っているでしょう。

 吃音で一番辛いのは本人でも、それを家族に話せば家族の気持ちも曇らせることになります。自分の辛さをありのままに打ち明けることも憚られる、そんな環境です。

 

 

◎「ただ、そばにいる」

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 清をとりまく1つ1つの要素は「決定的な悲劇」ではありません。辛いけれど、モヤモヤしつつも自分なりに対処しながら日々を過ごしています。でも、時にそれが複合的に重なることで「どうしようもなく、やるせない出来事」になるのです。

 

 小学1年生のクリスマスイブの日は、清にとってそんな「やるせない日」になりました。その日の夜、清のもとに「きよしこ」が現れます。

 きよしこの前では、清は自分が悲しかったことも、その気持ちのままつっかえることもなく話せるのです。きよしこは清の話をただ聞いてくれます。そして最後に清に「いいことを教えてあげる」と切り出し、「うまく話せないときは、抱きついてから話せばいい」「手をつなぐだけでもいい」と話します。そうすれば、清が本当に伝えたいことは、きっと伝わると。

 君はだめになんかなってない、ひとりぼっちじゃない、誰にでも手をつなぎたい相手、つなぎ返してくれる人はいる、そう教えてくれるのでした。

 

 

 作品全体の中で「教えてあげる」と話を切り出して「きっと〇〇だよ」「〇〇なことなんてない」と語られるのは、この部分だけではないでしょうか。

 清はこの言葉を心にとめつつ、その後のエピソードで語られるような子ども時代を過ごしていくことになります。そこでは考えさせられることがたくさん起こりますが、何が正しいとも何が間違っているともいえません。いろいろな人がいろいろな境遇の中でいろいろな思いを抱えながら起こすそれぞれの行動が、結びついて1つの出来事になっていく様子が語られるだけです。

 前編で紹介したプロローグの内容どおり「お話というものは、現実に生きるひとの励ましにも支えにも、慰めにも癒しにもならない。できるのは『ただ、そばにいる』ということだけ」という考え方が、他のエピソードの中で一貫しています。

 みんな何かに悩んでいるし、みんな誰かと手をつなぎたい。つなげた時には満たされるし、つなげなかった時は切ない。時には「つながれたんだろうか」と複雑な想いになることも。

 読者は登場人物のそんなドラマに寄り添い、そして寄り添われることになります。ある物語ではハッピーエンドに満たされ、別のエピソードでは切ない展開に共感することになるでしょう。読者がこの物語のどの部分と「手をつなぐ」のか、それは全て読者に委ねられています。お話の側は「ただ、そばにいる」だけ。強いてお話からのメッセージを読み取るなら、「君はひとりぼっちじゃない」ではないでしょうか。

 

 

◎0にも100にもならない 

 

 もともと「吃音を持つ少年へ向けて書いている物語」ですから、「主人公が吃音を持っていること」の影響が全編を通して表現されています。でも当然のことですが、清の毎日は吃音だけで語れるものではありません。家族のこと、友達や先生のこと、好きな野球のこと、得意な作文のこと、出会った人々のことなど、辛いできごともありますが楽しい思い出もたくさん語られます。

 その一方で、そうした思い出話の全てに、常に吃音の影響を感じます。人との関わりにおいて「言葉」は欠かせませんから、それも当然のことなのでしょう。「吃音」が清の物語の全てではありませんが、逆に無関係なエピソードもないのです。

 

  また6つ目の物語「交差点」では、清はこれまでとは反対に「転入生を受け入れる立場」を経験します。清ばかりが常に「転校を繰り返している」側の立場ではないのです。でも転校を経験してきた人間であるために転入生の立場もよくわかるので、これまで仲良くしてきた同級生との温度差が生じる描写もあります。「転校を繰り返してきた」という清の背景がなくなることはありません。 

 良いことも悪いことも、それが全てではないし、消えてなくなることもないのだなと、全編を通して感じました。

 

 

 そして、この「清」を主人公とする物語のところどころに、後に直木賞をとる作家の下地を作ってきた体験が見られます。そしてその多くは、吃音や家庭の事情など、少年を悩ませてきた要素とも関係しているようです。

 

 

 声に出しづらい音があるために、何とかその音を使わずに相手に伝えられるよう「言いかえ方」を考える日々を送っていたこと、

 

そうして表現力を鍛えられたせいか、作文はずっと得意だったこと、

 

でも、書いた文をクラスのみんなの前で読み上げなくてはいけないから、作文の宿題は気が進まなかったこと、

 

自分が本当に書きたいこと・言いたいことを伝えるためには、事実をありのまま書くことにはこだわらず、真実に多少のフィクションを加えて作文を書くようになったこと。

 

 

 転入先の学校で既に出来上がった人間関係の中に入っていかなくてはならなかったこと、

 

そのために周囲の人間の言動から「これまでの背景」を読み取る必要があったこと、

 

そんな「集団に微妙に入りきれない」立場であるために「人と人との間をとりもつ」役回りになりやすかったこと。

 

 

 作中では「だから作家になれた」「だから文章力がついた」という表現は一切ありません。「苦しかったから今がある」というような美談ではないのです。でも、語られるエピソードをひたすら読んでいくと、主人公が辛いと思ってきた色々な要素も、必ずしも悪い影響ばかりではなかったのだろうと感じられます。

 一方で「相手が自分のことを思いやってくれるからこそ辛い」というような状況も多々出てきます。

 どんなことも、良いばかりでも悪いばかりでもないのですね。良い思い出も辛い思い出も、全て自分の思い出として「ただ、そばにいる」のでしょう。

 

 

◎最後に3行で振り返る

 

本の内容は→転勤族の家庭に生まれた吃音を持つ少年と、その周囲の人間ドラマ

物語のテーマは→励ましでも支えでも、慰めでも癒しでもなく、「ただ、そばにいる」

感じたこと→望んだことも望んでいないことも、全ては0にも100にもならない

 

 重松清さんの作品の中には学校の教科書に載っているものもありますし、「きよしこ」よりも有名な作品もたくさんあります。またいつか機会があるときに、直木賞受賞作の「ビタミンF」などの振り返りができたらと思っています。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。