ききょうけん(キッズの教養を考える研究室)

「キ」ッズの「教」養を考える「研」究室

スティッチがこんなキャラだとは(後編)~3行で振り返る読書(3)~

※ネタバレ注意※

 今回は、うさぎ出版の絵本「リロアンドスティッチ」のストーリー内容についてもふれています。

  

 

 こんにちは、

キッズの教養を考える研究室、略して「ききょうけん」です。

 

 今回は、絵本版の「リロアンドスティッチ」を「3行で振り返る」後編です。

 

 私は映画を見ていないので、あくまでもこちらの絵本についての振り返りになります。↓ 

 

 

※前編はこちら↓

kikyouken.hatenablog.com

 

  前編では、私がこの本を読むことになった経緯と、絵本のあらすじの前半を紹介しました。

 トラブルメーカーのAちゃんを、Aちゃんに手をやくAちゃんのお母さんから数時間預かることになった私は、「Aちゃんはスティッチが好き」ということを知って読み聞かせ用にこの絵本を用意しました。そして、事前に目を通しておこうと、一人でこの本を読んだのですが…

 なんだか、スティッチとその周辺の境遇が、Aちゃんとその家族の状況と重なって見えてしまい、「こんなストーリーだったのか」と困惑しつつストーリーに引き込まれていきました。

 

 

 

◎「自分のせいだ」→「自分さえいなくなれば」

 

 スティッチはもともと、宇宙のかなたで作り出された生命体「626」で、近づくものを全て破壊するため追放されることになっていました。その途中で逃走してハワイへ不時着したスティッチは、2人暮らしのナニとリロ姉妹にペットの犬として引き取られましたが、地球でもトラブルを巻き起こし続けます。幼いリロはスティッチをかわいがりますが、トラブルメーカーのスティッチが原因で姉のナニは仕事を失い、役人からリロを施設に入れるように言われてしまいました。

 リロと暮らすために頑張って仕事を探して続けていたナニでしたが、スティッチが原因でいろいろなことが上手くいかず、心が折れてしまいます。

 

 そんな様子を見て「何もかも自分のせいだ」と考えたスティッチは

 

「じぶんさえ、いなくなれば…」と家を出ることにします。「みにくいアヒルの子」の本を抱えて、夜中にそっと、窓から出て行くのでした。

 

 

 この展開が、私にとってはとても衝撃的でした。

 アニメ版だとこのシーンまでにいろいろな心理描写があるのだと思うのですが、この本ではキャラも動かないですしあらすじもダイジェスト的になってしまっているため、この家出シーンまでは「スティッチが自分の引き起こしているトラブルをどうとらえているか」がほとんど読み取れないのです。

 このシーンを読むまで、スティッチは自分の行動でどれだけまわりが困っているか、どんな影響が出てしまっているのか、自覚がないのかなと思っていました。

 そして、このシーンの直前あたりで初めて「自分のせいで、姉妹の家庭がメチャクチャになった」と知ったのだろうと。自分が、地球で言うところの、いわゆる『悪い子』だからいけないんだと。

 

 それで、私が反射的に予想したその後の展開は、スティッチが「良い子にならなきゃ!」と考えるというものでした。

 自分が『悪い子』だから皆が困っている。じゃあ、これからは『良い子』になる!

 でも当然そう簡単にはいかないでしょうから、『良い子』になるために四苦八苦するのが後半の展開なのかなと思ったのです。

 

 けれども、実際のスティッチの行動は、そうではありませんでした。

 

『悪い子』はここにはいられらない→じゃあ、出て行こう。

 

 自分が建設的に残れる方法を一切考えず、いなくなることを即決します。

 

 驚きましたが、考えてみればスティッチにとっては当然のことなのでしょう。

 

 地球人のいうところの『良い子』でないとここにはいられない。だったら出て行くしかない。

 

 

 だって、『良い子』になるなんて無理だから。

 

 

 それはそうですよね、『良い子』になろうと思って簡単になれるくらいなら、最初からなっています。

 なれないんです。それがスティッチなんです。だから出て行くしかない。

 

 

 私は子ども時代、どちらかというと優等生タイプでした。周囲のこと比べて「『良い子』にふるまうのが難しい」ということは、あまりありませんでした。「ちゃんと」できない時も「このままではいけない」ということに関しては「次はちゃんとしよう」という気持ちがありました。そして、それは優等生タイプでない友達も同様で、何かある度に「ごめんなさい、もうしません」みたいなことを言っていたと思います。結局また同じ失敗をやらかしたりしていましたが、怒られた瞬間は反省して「もうしない」という子が大半でした。

 スティッチは「もうしない」が無理なことを、誰よりもわかってしまっているのでしょう。「次はしない」と考える発想自体が無いのかもしれません。

 

 

 私は、窓からそっと出て行くスティッチの姿がAちゃんに重なって見えて、涙がとまりませんでした。

 Aちゃんは何かとトラブルを起こしては、お母さんに怒られていました。それこそ「お利口にしていなさい」というように、はっきり求められていたと思います。

 

 でも、それで「お利口」になれるくらいなら、最初からなっているのでしょう。Aちゃんだって、いつも怒られてばかりいたいわけではなく、「良い子」になりたい気持ちはあるように感じられましたし。でも、なれないのです。

 

 Aちゃんのお母さんはAちゃんのことをかわいがっていましたが、人一倍世間体を重んじる人で、『良い子』であることを求めています。

 Aちゃんにしてみれば、「『お利口』にふるまえない」自分が全てですから、自分の全てを否定されているのとあまり変わらなかったかもしれません。

 

 私自身には全くない発想だったので衝撃的でした。

 

 幼いAちゃんはスティッチのように家出をすることはできませんが、本当はもう、「周囲に受け入れられるような『良い子』になるなんて無理」で、そんな努力をすることを考えることもないのでしょうか。もう、自分がいなくなるという解決策しかないのか。

 

 そこでまた、スティッチが抱えている本が「みにくいアヒルの子」だという描写に、切なくなります。

 

 この本を抱えて行くというのは、スティッチが「いつか自分にも、本当の居場所が見つかる」という希望を捨てていないということなのでしょう。

 でもそれは、姉妹のもとを去らなくてはいけなくなった自分への慰めくらいのもので、「実際はもう無理なんじゃないか」と考えているのではないかと、私は感じました。

 「みにくいアヒルの子」では、アヒル達に家族として受け入れてもらえなかった主人公が、ハクチョウの群れに出会い本当の家族だったと気づきます。でも、スティッチは既に宇宙の裁判で「追放」されて、流れ着いたハワイで出会った姉妹とも家族になることができませんでした。2回「無理」だったのです。はたして3回目のチャンスがあるのか。この先ずっとこのままなのではと。

 

 

 Aちゃんは、このスティッチというキャラに共感していたのか。スティッチと同じ気持ちなのか。

 スティッチはフィクションですが、Aちゃんは現実にいます。これがAちゃんの気持ちだと思うと…。

 今までの人生の中で、読書中にここまで泣いたことはないというくらい、涙がとまりませんでした。

 

 

 

◎諸々のオチ

 

 ここから先、完全に物語結末のネタバレになりますが

 

 

 

 

 

 

 最終的に、この物語はリロとスティッチ、そしてナニが正式に「家族」になって終わります。

 この家出の後も事件やら追いかけっこやらが起こりますが、最終的に、ハワイの役人も、「宇宙議会の議長」なる人も、3人が家族として暮らすのを認めてくれることになり、ハッピーエンドとなりました。

 かなり端折った説明になりましたが、実際にこの本を最後まで読んでも、絵本だからなのか、なぜ「家族」と認めてもらえたかの根拠の部分が曖昧だったりします。

 ただ、これではあまりにも端折り過ぎではあるので、この結末等については、後日別の記事でもう少し補足させてください。

 

 

 

 

  そして、Aちゃんの件です。

 

 私は一人でこの本を読んだ後、このストーリー内容をAちゃんの母親に話すべきか迷いました。ちなみにAちゃんの母親は、Aちゃんがスティッチ好きなことは知っていても、名前以外はデザインも含めて全く知らないくらいの状況です。

 とりあえず、Aちゃんに読み聞かせをして、その時の様子を見てから結論を出そう…と読み聞かせ当日を迎えた結果、そんな悩みも全て吹き飛びました。

 

 Aちゃんに読み聞かせをしてみた結果、1つの事実が発覚したのです。

 

 Aちゃんは、このストーリーを全く理解していませんでしたし、話の内容に興味もありませんでした!

 

 ただただ、キャラクターのデザインが好きなだけだったらしく。

 

 それを知った瞬間の私の脱力感と言ったら、もう…

「私の涙を返して」と心の中で叫んだものです。

 

 まあでも、考えてみれば当然の話でしょう。

 

 絵本を読み聞かせで楽しむくらいの、自分で読むのは難しいくらいの幼い子に「裁判」とか「追放」とか、「役人」とか「施設」がどうとか、難しすぎますよね。

 

 ただ「ストーリーを知らない」といっても、アニメで動いているところを見ればスティッチが何かと周囲をかき回す様子はなんとなくわかると思うので、そういった姿にシンパシーを感じていたのかもしれません。

 

 それに、スティッチとは関係なくとも

 

「『良い子』でないとだめ」

「じゃあ自分はここにいられない。『良い子』になるなんて無理だから」

 

という発想は、少なからずAちゃんの中にあったと思います。

 この件で、私のAちゃんを見る目は少し変わりました。 

 そして、Aちゃん以外の身の回りの子に対しても。

 

 スティッチのモデルに関しては「コウモリ」といわれているようです。これは、外見的なデザインの話でしょう。中身のキャラクターのモデルについては言及されていないようですが、私はAちゃんのような人間の子どもがモデルになっているのではないかという気がしてなりません。特定の子どもということではなく、Aちゃんのようなタイプの子どもや、その子を育てている家族をモデルにしているのではないかと思うくらい、リアリティを感じました。このキャラクターが、あまりそういった点で語られることがないのが不思議です。

 

 そもそもキャラだけが有名で、ストーリー自体があまり知られていないのですよね。まさかこんな話だったとは。

 

  

◎最後に3行で振り返る 

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あらすじは→宇宙の裁判により追放された生命体が、地球の片隅で姉妹と家族になる話

特に衝撃を受けたのは→「自分のせいだ」からの「自分さえいなくなれば」という発想

考えたこと→スティッチには人間のモデルがいるのでは

 

 

 前回・今回と2回にわたり、私の「リロアンドスティッチ」の読書体験を振り返りました。

 文中にも書きましたが、今までの読書で一番泣いたんじゃないだろうかというくらい涙が止まらなかったのに、後に明らかになった真実に脱力したという非常に思い出深い本です。

 思い入れが強すぎて、個人的な話が多くなってしまい申し訳ありませんが、興味を持った方は、是非実際の本やアニメで実際のストーリーを楽しんでみてください。

「あの有名なキャラは、こんなストーリーがあるんだな」と。

 

 また、後半のあらすじや、3行目「スティッチには人間のモデルがいるのでは」に関してはあまり振り返れなかったので、その点に関して次回補足を書きたいと思います。

 まさかの3回に分かれての記事になってしまいますが、気が向いたら、次回もお付き合いください。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。